読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

告知記事も思いの表現の場だと思う。

最近ちょっともやもやしてたところに
堀内瑠美さんのこの記事見てすっきりきゃー

リンク  告知文は転載自由なの??


そんなに転載とかされたことあるわけじゃないけど

だから
転載されるってことはその文章がいいって認められたってことだよねはてな5!
と思おうともしているけども汗


でもまぁはっきり言っていい気持ちはしないよね・・・

転載されたこと自体というより
そういう風に軽く扱われたことについて。


転載しますねって声かけてくれたらいいよって答えるのに
その一言さえもいらないと思われているのか、とかううっ...

それなりに時間かけたり考えたりしているのに
そういう価値はないのかなーとかううっ...

(具体的にそこまで考えるわけではないけど
 もやっと感をつきつめたらこうかな、という感じ)


固く言えば、文章や画像の著作権云々なんだけど
もやっとするのはそういう気持ち、心遣いの面かなぁ...

 

ほんとにフレーズなり内容なりが
気に入ってくれて...とかなら
嬉しくもあるのだけども。

だから声かけてもらえば断る気とかないし
いいと思ってくれたのかなと嬉しいくらいなんだけど。

 


書く人それぞれに
どこに思いがあるか何が大事かっていうのも違うだろうから
どういう風にしたら正しいとかはないと思ってて
だからこそどうしても転載したいならどんな形ならOKか聞くのが
筋じゃないかなと思うんだよなぁ。

たとえば
瑠美さんは引用元リンクあっても自分の言葉じゃないのはいやってあるけど
私はリンクもなく適当に自分の言葉いれてまとめられている方が嫌だなと思うし。

メインの告知分として転載されたらいやだけど
他の招致者の視点も伝えたいという意味でのサブ記事ならありかなとも思うし。
(転載してる明記があれば、かな)

 


てか、転載して何が得するかって
時間かからなくてすむ、程度しか思いつかないんだけど。

どういう思いで招致したか、開催したか
どこがいいと思っているか
同じ講師の方でも呼ぶ人によってそこが違うから
いろんな視点が見えておもしろいのに。


私が消費者として見たときに
無断転載してある記事だったら(転載に気づけば、だけど)
自分で文章考えるほどの力をかけていない=その程度の講師の方!?
とか思ってしまうけどなぁ...


告知文って
紹介や案内の記事ではあるけど
自分の想いや視点を伝える場所でもあるのに
こぴぺですませてその機会を放棄するのはもったいないな
、と思う。



ちなみに私が告知記事うまいと思って好きな方は
瑠美さんと、大森あゆみさんキラキラ キラキラ


情報がきとんとある、導線がしっかりしている記事を書く人は
たくさんいるけども
お2人の切り口の多さ、多角的な視点、経験とのリンクのさせ方とか
すごいうまいなぁと思うし説得力があるしおもしろい。
告知としてだけでなく普通に読んで楽しめる記事も多くて読みやすい。
招致をやってくならこういうとこ取り入れたいなと思います。