子供との向き合い方を考えさせられた。

朝、じーんと深く考えさせられる記事を読んだので
メモをかねて...

kikkaさん
Facebookのシェアで知った
川岡康子さんのこちらの記事
矢印
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私のガチンコ子育て Part1
私のガチンコ子育て Part2
私のガチンコ子育て Part3
私のガチンコ子育て Part4
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「親は いかに子どもの成長に邪魔にならないかだけを考えていれば良いと私は思う。」

ほんとだなーと思うけど
でもなかなかできないこと。
つい自分の想いを託してしまいそうになる。

どういう風になってほしい、とかではないけど
つらい思いはさせたくないとか
将来困ったことにならないように最低限は~とか。

だけど、そんなの全部親のエゴで。


よく、
子供は子供だから別の人間だからとか
対等に一人の人間として向き合ってとか
子育ての話でそういうの聞くし見るし
でも理論として理解してただけでわかってなかったなーと
しみじみと痛感した感じ。


理想の親として導くとか教えるとかでもなく
現状の子供を認めるとか受け入れるとかでもなく
ただ単にそのままそこにいるそのまま生きているのを
そのようにしている、そうなるようにしている、
というか
生き物としてすごく自然な感じはてな5!

けど、親だという覚悟がないとできないこと、という感じ。

(なんかちょっと、
 松原靖樹さんのいう「はらに決める」のと似てるかも...)


表現難しいなぁ。
読んでみたほうがいいと思う、絶対ビックリ


読んでて、
康子さんすごいなぁ、お子様達もすごいなぁ、

単純だけどそれしか出てこなかった。


子供と向き合う、といったりするけど
向き合うのではなくて後ろに構えていればいいのかもね。
サポートはするけど、行く道はまかせる。
振り向いたとき必要なときに向き合って話せばいいのかも。

「種を一つね、土に埋めたの。
で、その種はどんな花になるのかは わからなくて、毎日、お世話をするんだけど、
水のやり過ぎもよくないよね、放ったらかしもダメだし。
ちょうどいい加減で、水をやったり、陽に当てたり、雑草を取ったり、
愛情を込めて、その花が うまく育つように願いながらね。
その花が何になるかは お楽しみ。
ひまわりかもしれない、バラかもしれない、すみれかもしれない。
名前もまだない、新しい花かもしれない。

親が 私はユリにさせたいから、ユリに。隣のチューリップが人気だから、チューリップに。
そんなふうに勝手に決めてはかわいそう。
それでは、その花は自分らしく咲く事ができない。だから、そのままで、いいってこと。
何になるかを 楽しみにしながら、親は無理に何かにさせようなんてする必要ないんだよ。」

そのお母さんも涙を流しながら、聞いていた。
心のどこかで、わかっていたことだから涙が出るのだ。

親は いかに子どもの成長に邪魔にならないかだけを考えていれば良いと私は思う。




たまたま今日Facebookでシェアされてて
たまたま今朝最初に見たのがそれで

ほんと偶然なんだけども
ゆうきの10歳の誕生日っていう節目に
こんな記事を読めてよかったなと
これからを大切に向き合ってすごしていきたいなと思いますハートぃっぱぃ